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| 「新秋田紀行」のカメラマンとしてもお馴染の桜庭さん。フリーカメラマンとして多忙な毎日を送る一方で、25年ほど前から撮り続けているものがある。それが、秋田を始めとする東北各地に現存する萱葺き屋根の民家の写真だ。「この仕事を長年やってると、日頃の仕事に飽き足らなくなってくるんだな。儲かる儲からないは別として...。シャッターを切る以上、そこにはオレなりの理由付けがあるんだけど、まっ、究極の自己満足の世界だな」と、そのきっかけを自嘲気味に語る桜庭さん。だが、そこには、情報伝達者として自らに課せられた役割を果たそうとする真摯な姿が見え隠れする。
「秋田という地方に住んでいるカメラマンにとって、『自分の故郷を(田舎)をどう見るのか。どう感じるのか』って、とても大切なことじゃないのかなって思う。同じ地方の風景、暮らしを撮影するにしても、東京のカメラマンと地元のカメラマンでは、視点がおのずと変わるはずだよ。山紫水明、自然がいっぱいの秋田には美しい風景がたくさんある。でも、オレの場合はただ美しいだけの写真...。たとえば、観光雑誌に掲載するような写真にはあまり興味がないんだ。確かに、それも秋田の姿だけど、本来、オレたちの住んでいる秋田の日常風景はとてもウェットなはずだ。ここに暮らす人間だからこそ理解できる生活スタイルというものもある。当然、そこには地域の風土、歴史を意識せざるを得なくなる」というのが桜庭さんの持論だ。 桜庭さんたち団塊の世代は、貧しい時代の日本と経済大国へと成長した日本と2つの日本を直視してきた世代でもある。「今の日本って豊かで便利になった一方で、何かがおかしくなっている。『いつからこうなったんだろう』って突詰めて行くと、その分岐点は農村の暮らしが急速に変化した昭和30年代〜40年代頃にあるんじゃないかと思うんだ」と語る桜庭さん。 今や日本中どこに行っても変わり映えのしなくなってしまった風景、食生活、習慣...。まさに、金太郎飴状態となった地方の暮らしの中にあって、唯一、地方ならではの独自性を伝承・凝縮する象徴として桜庭さんが注目したのが萱葺き屋根の民家なのである。「本来、家というのはその地域の文化の集大成のはずだったんだ。特に、地方の民家には旧藩政時代の様式が色濃く残っている。だから、萱葺き屋根を撮るということは、その中にある生活とか文化とかをも背負うことになるんだ。その辺のところをオレ自身が理解して初めてシャッターが切れるし、その中に秘められた日常性を次の時代に伝えるのが、オレたちの役目じゃないかと思うんだよ」とも。 利便性・合理性という御旗のもと、伝統や独自の文化を放棄してしまった地方と、もはや空念仏と化した「地方の時代、地域の活性化」という言葉。ましてや、産業、経済、国際社会、人間関係など、すべてが激変してしまったこんな時代だからこそ、桜庭さんは「地方に生きることの意義、本当の豊かさとは、贅沢とは何なのか」を、写真を通じ改めて問いなおそうとしているのではないかと思うのである。 (文章:海老名勝宏) |
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